リーフレットの中の言葉

ー舞踏なんかを知る前に、能を観ていた事があったんですけれど、銕仙会で、「船弁慶」という、少年が義経役でそれを弁慶が平家の悪霊から守るというストーリーですが、その義経役の少年が初めて舞台に出たもので、舞台の上で吐いちゃったんですよ、それで結局、舞台と楽屋のあいだを何回も何回も出て来たが結局舞台に出られなくなってしまった。で、どうしたかというと、そのときたまたま銕仙会で観世英夫が後見をやっていて楽屋へ少年の世話したり、結局少年義経が舞台にはいないまま周りはいるものとして演じ義経の謡は観世英夫が後ろに座ったまま、居ない主人公の台詞を謡う。ああ、後見というのはこういう事か・・、で、その当時、まだご健在でいらした朝日新聞に能の評を書いていた長尾一雄さん、舞踏にも精通していた人でしたが、そんな話をしたら「えーっ、そんなもの私も観た事が無い」と仰っていて、能では、舞台で人が死んだら止めよう、というのを1968年に取り決めたそうで、つまり、能というのは戦場の武士達がやるもので、だから死んでもやるんです。死んだってそのままやる、その為に後見がいるということを初めて知って、へーって思ったんですけど。−

 テレプシコール通信 1月2日 NO134「佐藤正敏氏の講評」