本の中の言葉

リュミエールの数々のめずらしい作品、たとえば「列車の到着」の別の版とか、セットで撮られた「女の喧嘩」(一八九六)とか「ギーズ公の暗殺」(一八九七)などの「演出された」作品を見ることができた。リュミエールの映画が、すでに、単にキャメラにうつるものをとらえたのではなく、キャメラがとらえようとしたものをとらえていたのであり、キャメラが対象に、あるいは対象がキャメラに、真になじんだときに画面にうつったものなのだということがわかる。−

山田宏一のフランス映画誌」 山田宏一 ワイズ出版